ひなさく
30’s 整理パパ ライフオーガナイザー
整理整頓という観点から、心も環境も整った「シュッとしたライフスタイル」を提案します。
豊かな時間を世の中に生み出したい!
あいさつ
どうも、子育てに奮闘中の整理パパこと ひなさく(@hinasaku365)です。
がんばって書きました。
なぜ SHUTT LIFE の活動をしているのか?
根っこの部分から感じていただけると思います。
長文ですので、興味がある人のみ見ていただければ。
意気込み
今までの自分は、弱みをさらけ出すのが苦手で、素直になれないフツーのサラリーマンでした。
強みにフォーカスしてるつもりでも、都合良く弱みから逃げながら生きてきました。
今でもそのポテンシャルは半端ないです。

でも、このままやと なんの進歩もないし、生き方の説得力もないやん…ハゥ
子宝に恵まれ、子育てをするようになって、ふと思うわけですよ。
弱みを出せていない父親って、ただの見栄っ張りな「口だけ父ちゃん」やん!と。
子供に信念を真っ向から伝えられないだけでなく、SHUTT LIFEの活動にも根拠がないなと思ったわけです。
ということで、自分自身の生き様を整理して、吐き出してみます。
グラフ化するとこんな感じ。
【簡単なプロフィール】
- 1985年9月5日、大阪府大阪市で誕生
- 3つ年上の兄貴がいて、4人家族。小さな市営住宅で育つ
- 大学卒業まで大阪に住み、新卒で東京に引っ越し
- 建設系の商社でサラリーマン生活スタート
- 学生時代から付き合っていた現妻と、名古屋転勤を機に入籍・結婚
- 2012年に第一子(長女)が産まれ、海外勤務(中国)がスタート
- 海外勤務の2年間で、生活が崩壊。
- 帰国後、生活を整えるということに集中
「時間の余裕・心の余裕がなくなると人間は崩れる」ということを体感

この頃から「時間」という観念が、僕の核として存在しています。
現在は、整理パパとして「SHUTT LIFE」を立ち上げ、子育て家庭を整える情報を発信中。
2016年、第二子(長男)にも恵まれ、現在4人家族の父親という立ち位置です。
サラリーマンしながらライフワークしています。
【ライフワーク】
豊かな時間を世の中に生み出し、シュッとした人生の文化を創る
- 子育て家庭を整える情報発信
- 人生を整理整頓するプラットフォーム作り
- 本質に気づく(素直)、生活を整える(整理整頓)、しくみ化する(構成)という 独自のひなさくメソッドを体系化する活動
2018/05/22現在
まずは、さらっとまとめてみました。

どういう人生を歩んできたか?
さらに深く、下記に整理したので、是非ご覧ください
【幼児期】
▼円満な家庭環境
のびのび育つ
ちょうどバブル崩壊前だったので、生活レベルは中流(中の下)ぐらいで、まぁワイワイと賑やかで円満な家庭で育った方だと思います。愛情を与えてもらって、のびのびと育ちました。
幼児期は、ほんとにいい思い出しかないぐらい、楽しく過ごしていたと思います。
バブル崩壊後は、一転することになるのですが…。
▼根は負けず嫌い
「負けたくない、勝ちたい」という感情が強め
とにかく根っからの負けず嫌いでした。友達とケンカして勝てなければ、勝つまで勝負を挑んでいました。母親からは呆れられていたはずです。思い返してみても、記憶として残ってるのが、「負けたくない、勝ちたい」という感情。記憶が形成される前に、何かしら影響を与えられて、そうなったのかもしれません。
▼工夫して勝つ
工夫して勝つことの快感を得る
周りの環境も影響して、気づけばサッカーに熱中していました。母親曰く、あらゆるモノを蹴っていたそうです(僕はそんなつもりはない)。
脳裏に焼き付いているのが、幼稚園のサッカーの先生からの言葉です。
僕がドリブルをして、フェイントで相手をかわした時、めちゃくちゃ褒めてくれたのです。
「フェイントの○○ちゃん」と命名してもらいました。それ以来、工夫して勝つことの快感を僕はずっと持ち続けています。

人生のスタートはイケイケでしたよ~。
愛情あり、上昇志向あり、成長あり!
【小学生】
▼努力・工夫→達成感
努力で上達できることを知る
とにかく毎日、友達と疲れ果てるまで遊んでいました。工夫した謎の遊びを考案したり、秘密基地を作ったりするのが好きでした。カッコよく言うとクリエイティブ系でしょうか。
もちろん、サッカーの練習にものめり込みました。小学3・4年生の頃に自主練に芽生え、一人で黙々とトレーニングをしていました。この努力は目に見える結果として現れるようになります。周囲の友達より技術が向上し、達成感を得ることができました。この頃に、努力で上達できるということが体に焼き付けられたはずです。
▼自然体験
良き父親像はここにあり
また、記憶に残っていることの一つに、父親とのアウトドア体験というのがあります。釣りに行ったり、キャンプに行ったり、自然の中でいろんな経験をさせてもらいました。心がワクワクして、とても楽しかった記憶があります。
父親からの愛情・接点はこの辺が大きいと感じています。自分の中の良き父親像はここから来ているはず。
▼生命体験
命の大切さを実感
小学1年生~セキセイインコ(名前:ピッピ)、小学3年生頃~ネコ(名前:サラ)を飼い始めました。僕は動物も大好きで、とても可愛がっていました。しかし、別れの日は訪れてしまうもので、ネコのサラは小学5年生頃に病死してしまいます。セキセイインコのピッピは、小学6年生頃に逃亡してしまいました。生物との別れは、おそらくこの頃が初めてで、命の大切さを実感しました。
特に、母親が号泣している姿を目にして、言葉にできない感情になりましたね。

のびのびと育っていきましたね。
とにかく楽しかったし、新しい体験の連続でワクワクしてた!
【中学生】
▼チャリ旅
「企画→実行」がやっぱり大好き
中学生になると、今まで住んでいた地域から飛び出したいと思うようになりました。
自らの意思で活動範囲を広げたいという欲求…、知らない世界を見たいという欲求…。これらの欲求が強まったのはこの頃で、中学1年生のときに、友達とチャリ旅を企画して実行しました。
共感できる友達が周りに多く存在したのはとても助けられましたし、とにかく楽しかった。
初めてのチャリ旅は往復約80kmで、当時の僕からしたら大冒険。ほぼ家出。テントやBBQ道具をママチャリに絡めつけて、夜中に街を飛び出しました。
アクシデントが数えきれないぐらいありながらも、疲れ切って入った温泉が最高だった。
※奥水間温泉
この頃から、「企画→実行」というプロセスが好きになったんだと思います。他にもいろんなことを企画・実行した。
何かを考えて、やってみる。失敗はネタみたいなもんで、失敗も楽しむ。
中学生時代に形成された価値観だと思います。
▼バブル崩壊後の家庭のギクシャク
心の余裕の大切さを知る
個人的には中学2年生までは順風満帆だったと思っています。しかし、人生の幸福曲線はここから下降し始めます。日本経済のバブルが崩壊して、我が家もじわじわと傷口を拡げていきます。1998年頃までなんとか持ちこたえていたという感じでしょうか。倒産したとか仕事がなくなったというわけではなかったのですが、資金的な余裕がなくなっていったわけです。当時、深く実態に踏み込めなかったのですが、多重債務的な話も出ていました。家庭はギクシャクしました。親のケンカの頻度も増しました。親の心に余裕がなかったのでしょう。何かがおかしい…子供ながらそう感じました。僕の心もソワソワし始めます。

何かがおかしい!
家庭が素っ気なくなっていく…
▼親不在の晩御飯
「家族」への思い入れが強くなった
金銭的余裕のなさは、家族の時間を奪いました。もちろん両親は必死に働くわけです。僕と兄に迷惑をかけまいと。晩御飯もインスタントラーメンを兄貴と分け合ったり、冷蔵庫にある何かを食べ漁ってました。親不在の晩御飯は、僕の心に亀裂を入れました。今まで楽しく食卓を囲んでいた時間がなくなるわけです。
僕が「家族」への思い入れが強いのも、この経験があったからだと思います。自分の子供にはこういう思いはしてほしくないと強く思います。

感情は不安定になっていく…
必死に寂しさを隠す日々でした。
【高校生】
▼受験の失敗
初めての大きな挫折
中学生の後半に心のゆとりを無くし、なかなかモノゴトをうまくコントロールできませんでした。とにかく落ち着かないのです。半グレ状態で、非行にも走ります。悪いことをして気持ちを紛らわしてました。心が整っていないので、集中力も発揮できず、高校受験に失敗することになります。初めての大きな挫折だったかもしれません。
▼兄の障害判定
心の奥底にあるトラウマ
高校1年のときに、僕にとっては衝撃的な事実を知ることになります。僕の兄のことです。ある日、母親が「言わないといけないことがある」と、僕を部屋に呼び出しました。そこで告げられたのが、兄が発達障害者として認定されたということでした。僕は、泣き崩れました。なぜ今なのか?何もできなかった悔しさというか、ショックというか…とにかく涙が溢れ出ました。
僕の兄は、幼少期に突然倒れて脳の手術をしています。生まれつき対人関係が得意ではなく、言葉もはっきり喋りづらいことから、同級生からはいじめの対象でした。僕も弟として、その事実は知っていて、あいつの弟やろ?という目線をすごく感じながら生活していました。僕よりも兄の方が辛かったでしょう。しかし、そんな状況でも、兄は無遅刻無欠席で高校卒業までやり抜きました。その点、僕は兄を尊敬しています。やり抜く姿勢に感化されています。
ちなみにこの話は、親族以外にほとんど口外してきませんでした。僕の心の奥底にある出来事。トラウマ。それぐらい重かった。今までの僕では支えきれないぐらいの重い事実でした。

大きな挫折と大きなショック。
どうしたらいいのかが全くわからなかった…
▼伸び悩み
素直になれない性格が形成された
高校1年~2年ぐらいになると、いろんなマイナス要因が顕在化してきます。サッカーでもケガが多くなり、心が 落ち着かない日々。あらゆることで伸び悩みました。この頃の自分は「もうどうでもいい」という諦めの感情で支配されていました。大切にしてきたすべてを手放したかもしれません。サッカー・人間関係・勉強…すべてを投げ出しました。形式的には繋がっていましたが、心が離れてました。
大人になった今でも素直になれないときがあるのですが、このときに素直になれない性格が形成されたのかもしれません。

「なんとでもなれっ」
負の連鎖で、心も落ち着かず、自暴自棄だったなぁ…。
【大学生】
▼手に入れた自由
実行力が芽生える
人生なんとでもなれと思いながらも、関西のK大学に入学することになります。ほとんど周りに流された結果です。高校時代と比べて変わったことと言えば、「自由度」でした。自分で1日のスケジュールを考えて、バイトをしたり、友達と遊びに行ったりできるようになったわけです。解放感が僕の中にありました。そして、バイトを通して、「社会は楽しいぞ」という感覚を得ていきます。自分で考えて、自分で稼ぐ。自分で社会活動して、自分で楽しむ。こういう感覚が、芽生えだしてきました。
▼現妻との出会い
運命的な出会い
大学1年のときに、現妻と出会いました。同じ授業を受講していて、妻が声をかけてきたのがきっかけです。「この先生の文字汚いですよね?ノート見せてもらえますか?」って感じで話が始まり、仲良くなりました。授業がある度に話をするので、次第に打ち解け、お付き合いすることになりました。今では運命的なことだなと感じます。その後、妻は僕の人生にも大きく影響を与えることになります。というか、のちに結婚して共に人生を歩むことになります。

今思うと運命的な出会いでした。
▼世界一周一人旅
俯瞰的な視点をかなり養えた
大学に入学して、僕はとにかく「自立」していました。中学・高校時代の反動があるからこそ、自立していました。そして、血が騒ぐわけです。自らの意思で活動範囲を広げたいという欲求…、知らない世界を見たいという欲求…。中学生のときに心の中に抱いた欲求と同じです。19歳の僕は、本屋さんで世界一周に関する本をたまたま手に取りました。「あっ、もうすぐ20歳やし…行こう!」即決でした。バイクを買うつもりでバイトで貯金してた80万円を全額使って、一人でバックパックを背負って飛行機に乗りました。初めての海外が2か月の一人旅になるとは思ってもいませんでしたが、勝手に体が動いていた感じです。15か国を広く浅く体験した旅でしたが、当時の僕にとってはかなり刺激的な経験でした。「こんなことしてもアリなんや!」「なんでこんなにいろんな考えの人がおるん?」「めっちゃ主張してくるやん!」180度、常識をひっくり返される毎日でした。まぁ外から日本を見ることは今までなかったわけで、このときに俯瞰的な視点をかなり養えたと思います。旅で人間変わったとかカッコつけるなとか言われるかもしれませんが、僕はめっちゃ変わったので自信をもって言います。すべてが変わった!

反動を活かして、思い切ったことができるようになってきた頃。
実行力と思考力が、活性化してきましたねぇ!
【社会人】
▼サラリーマン経験(営業)
人間的に成長
いろいろな道を考えましたが、当時、俗にいう日本の一般社会(サラリーマン)を一度経験したいという思いがあり、会社勤めをすることになります。まずは、どんな感じなのかを体感したかったわけです。建設系の商社に入社し、営業職として配属されます。ハウスメーカーや住宅会社に建設資材を卸す営業です。社畜ではありましたが、かなりいろいろな経験をさせてもらいました。顧客の課題を聞き出し、工夫して課題解決の提案をするという提案型の営業がすごく深くて、やりがいがありました。僕の経験を、十分に活かせたと思っています。
また、出張や転勤(名古屋)も経験し、業務的にも人間的にも成長できました。2010年3月に入籍もして、ドタバタした日々が続いていたような感じでしたね。
▼洗練されていく自己分析。一方で、もの足りなさ
好奇心がウズウズ
仕事をしていると、困難な状況・ムカつく状況などなど、多くの壁が前に現れます。乗り越えては、また乗り越えと…これの繰り返しなんですよね。僕は結構考えるタイプなので、自然に自己分析が洗練されてきます。入社4年で得たことも多かったのですが、もの足りないという気持ちが日に日に強くなりましたね。ある一定の経験をすると、もの足りなさが出てきちゃう…好奇心の塊みたいなもんです。

このままでいいのか?
もっと、違う世界を見てみたい~!!
▼新たな挑戦
「成長・挑戦」という目的に向かって一直線
大きなステップアップを望んでいた僕は、転職を考えていました。進路を模索していた最中、社内でグローバル人事制度というものが新設されました。当時の自分を変えるチャンスだと思い、僕は手を上げます。赴任先は中国。一人旅の経験があったので海外で生活する自信はありました。家族の了承も得られたので、転職の選択ではなく、海外勤務を決断しました。そして、2012年4月~の出発に向けて準備が始まるわけです。「成長・挑戦」という目的に向かって一直線だったので、語学勉強も吸収しやすいですし、日々グレードアップしている感覚が楽しくてしょうがなかったです。

いっちょやったるでぇ。どんどん挑戦やぁ!!
新しい光が見えてきました~!
【ダメ父親期】
▼出産
ダメ父親になってしまう
海外勤務が正式に決定したちょうどその日…第一子の妊娠が発覚します。辞退も頭をよぎりましたが、会社・家族との話の中で、まずは単身で渡航することになりました。そして、2012年6月に第一子(長女)が誕生、すぐに駆けつけることはできませんでしたが、1か月後に始めて自分の子を抱きしめました。感動を通り越して、ぼーっとした感じでしたね。出産前後を振り返ると、妻と子との時間的な接点が少なすぎたと今ではとても反省しています。何もわからぬまま父親になったということです。ダメ父親はこうやって誕生するんです。

妊娠!!
えっ、父親になるの? ど…どういうこと?!
▼家庭の崩壊
かけがえのない時間を失う
長女が生後5カ月ごろに、妻と子供も上海に来て、念願の家族での生活をスタートさせました。僕もダメ父親ですし、妻もまだ母親になりたてで不安な気持ちを抑えられずにいました。当時の上海は、PM2.5の大気汚染問題だけでなく、上海ブタ大量死、死骸1万3000匹以上回収の問題であったり…「安全」という観点で、妻の心を刺激しまくりました。
もともと不安症の妻は、症状がかなり悪化し、潔癖・パニック…もう抑えきれない状態でした。僕自身も仕事の忙しさから家庭をフォローする時間が少なくなり、妻の不満を増長させる要因でした。慣れない育児を異国の地で2人だけでやるのは想像以上に大変だった…。ケンカもしますし、制約も増えます。完全な負のスパイラルに陥り、夫婦ともども疲弊してしまいました。心を落ち着かせる必要性を感じたため、2013年5月5日(子供の日)に、妻と子供の2人だけ帰国することになります。空港まで送りに行って帰宅した後、一人寂しく部屋の中で、子供のおもちゃを片付けている自分自身に対して、「なにをやってるんだろう」という虚しすぎる感情が湧き出てきました。かけがえのない時間を失った感覚でした。

俺は何をやってるんだろう?
見失うにも程がある。一番大切なことを疎かにしていた…。
▼妻の生い立ち
「時間」の大切さを痛感
帰国した妻は、実家で生活することになります。しかし、上海での不安感を引きずっていたり、支えとなるべき父親(僕)も傍にいないことから、自暴自棄にもなってしまいます。それが原因で、実家での人間関係がうまくいかなくなり、いろんな悪影響が出始めます。ほんとうに何もできず申し訳なかったと思っています。僕が傍にいるべきだった。
この一連の出来事で、僕は妻のことを全然理解していなかったのだと気づきます。
妻は、幼少期にいくつかのトラウマを抱えていて、不安症(対人恐怖症)をもっています。このことの本質に気づいていなかったですし、まず向き合う余裕がなかった…。
「まず本質に気づく。そして、すべての環境・心も整えて、余裕を持つ。」この一連の流れの大切さにココで気づくわけです。
今では、いろいろ対話を深めていくうちに、親の影響がかなり大きいということがわかってきました。妻は僕と同じく、小中学生時代に親が共働きで、接する「時間」の少なさから、愛情不足を極度に感じたそうです。このとき、自分自身の経験ともリンクして、「時間」がいかに大切かを痛感しました。

全然気づけてなかった。というか、ほんまに余裕がなかった…。
「時間」の大切さを痛感したなぁ。
【今】
▼整え直し
整理整頓の重要性に気づく
赴任から2年、会社にも事情を汲んでもらえて、僕自身も帰国することになります。まず、すべきことは何か?それは「整理整頓」でした。身の回りの環境の整理整頓はもちろんのこと、心・人間関係・仕事内容…すべてにおいて整える必要がありました。ここでの整理整頓は、余計なモノゴトを捨てさり、自分たちにとって最適なカタチに整える作業でした。不要な家具・服などは廃棄し、やるべきでないことに手をつけないようにした。それは、家族との時間を豊かにするため。結果的に、生活は徐々に整っていき、心に余裕が生まれました。このときに、整理整頓は単なる片付けではなくて、崩れかかったモノゴトを整えることであることを体感したわけです。もし、僕ら夫婦と同じように、「時間」の不足が余裕をなくして生活が崩れかかる人がこの世にいるのであれば、助けたい…そういう感情が芽生えてきました。

一旦落ち着いて、生活を整えていこう。
「時間」ってほんまに大切!!
▼新たに見えたやるべきこと
豊かな時間を生み出す
これまでの経験から、僕の核(コア)には「時間」という概念が強くあります。上記では触れませんでしたが、社会人になってから僕のおじいちゃん・おばあちゃんが亡くなっていて、更に「時間」の尊さを胸に刻んでいます。愛情を注いでくれた人との死別…、時間の大切さについて考えさせられました。
新たに見えたやるべきこととは、まさに「SHUTT LIFE」そのものです。
崩れかかったモノゴトを整える役割を担って、多くの人に人生を整理整頓してもらいたい。
本質に気づき、整理整頓し、生活をうまく回すしくみを構築する。
特に、僕と同じ境遇の人には伝えたい!!
家庭・仕事に忙殺される30代のパパ
SHUTTビジョン「人生を整理整頓するプラットフォームを創る」

あっ、やるべきことが見つかってきた。
社会貢献をもっとしていきたい!
まとめ
今はサラリーマンとして仕事をする一方、ライフワークとしてSHUTT LIFEの活動をしています。いずれもテーマは「時間」です。まだまだ、力不足なのですが、より多くの人たちからパワーをもらって、SHUTT LIFEのビジョンの実現に向けて、誠心誠意頑張っていきたいと思っています。
是非、応援のほどよろしくお願いいたします!

ここまで見てくれた人がいるだけで嬉しいです!
ありがとうございます!!
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